実行委員会メンバーによる 

アーサー・ビナードさんの作品のご紹介

ここが家だ (集英社)

ベン・シャーン(絵)

アーサー・ビナード(構成・文)

2006年


ベン・シャーンが好きで買った本でした。読んだら一気にアーサーさんも好きになった、私の最初のアーサー本です。



第五福竜丸が題材ですが、難しいことは何も書いてありません。

ただただベン・シャーンの力強い絵と、アーサーさんのまっすぐな言葉から静かな怒りがにじみ出ています。


何度読んでもページをめくる度に涙が。ご家庭に1冊!と本気で勧めたい本です。


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くうきのかお (福音館書店)

アーサー・ビナード (構成・文)


2004年


こちらは美術絵本。

15枚の世界の名画に描かれた、くうきの表情を詩人のアーサーさんが言葉にしてくれました。

 私たち空気を読むことは多々あるけれど、

空気の顔には気づいていなかったかも・・

ページをめくるとくうきがおどり
声に出して読むとくうきがクスクス笑います。

小さな子どもと読むとおもしろ楽しさ倍増!

 

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日本の名詩、英語でおどる

(みすず書房)

2007年 

 

表紙の写真がいい。あどけない昔の子どもたちが紙芝居を見ている。妹をおんぶしているお姉ちゃん。孫をおんぶしているおばあちゃん。一人ずつの表情を眺めながら目を移していくと、おや、犬も見ている・・・。

 

今の日本から見ると外国のように思える過去の時代に書かれた名詩を選び、英訳を添えてエッセイも加えた。遠いからこそ魅力的に見えるのかも知れないし、だからこそ近付いてみたくなる。翻訳作業が日本の名詩へのアーサー・ビナード氏の接近方法だという。この本に収められている26人が生み出した詩や川柳、俳句を橋渡しにして、古い詩・詞の魅力に近付くことができるのは確かだ。


まず詩を読む。そしてアーサー・ビナード氏の英訳を読む。もう一度オリジナルの詩を読む。ああ、そうなのかと腑に落ちたりする。

更にエッセイを読んで、こういう時代にこうやって生きた詩人なのか、この言葉を英語で表現するのに ビナード氏はこんな苦労をしているんだ、などという小さなことを知ると更に詩の持つ味わいが深まる。

 

与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」はとても有名だ。日露戦争に出征した弟を想って作られたものだが、発表当時は激しい非難を浴びた。大町桂月が先頭に立って与謝野晶子への非難を展開していた「太陽」に、出征した夫への想いを込めた「お百度詣」という詩を大塚楠緒子と言う詩人が発表した。国が勝つことではなく、愛する夫が無時に帰ってくれることを祈りながらお百度詣をするのは罪深いのかと俯く自分の心のうちを描く作品だ。「ちょっとやそっとの覚悟で書ける詩ではない」とアーサー・ビナード氏。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」と一対になって国粋主義者に立ち向かっているような強い詩だと思う。

 

知っている詩人もいれば、名前も知らなかった詩人もいる。詩にあまり馴染みがなかった私にとって、時々手に取って読み返したくなる作品とエッセイで充実した一冊だ。

 

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タンポポたいへん(鈴木出版)

シャーロット・ミドルトン(作/絵)

アーサー・ビナード(訳)

2011年

 

もしも、アーサーさんのキレキレの言葉のセンスを中高生に伝えるとしたら・・・・この絵本が最適なのではないかと思う。「えっ、絵本で?」などと侮ることなかれ!この作品は、サッカー好きなごく普通の(?)モルモット・クリストファーが、食料であるタンポポを絶滅の危機から救うという環境絵本だ。

 

もちろん、そのストーリーも充分楽しめるのだが、彼がタンポポの本を探して訪れる図書館にこそ、アーサーさんの言葉のセンスが凝縮されている。そこには、どこかで聞いたことのある名作風の書物がずらりと並び、読者を爆笑の渦に巻き込むのだ。少しだけ棚を覗いてみよう。

『よくぼうというなっぱれっしゃ』

『しゅのごきげん』

『はしれ、レタス』

『むしのおうじさま』

『ソクラテスのべんぴ』

ベストは『あたしのジョー』で異論はあるまい。

 

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日本語 ぽこり ぽこり(小学館)

2005年

 

日本に住むアメリカ人の目に映る不思議、疑問、文化の違いなど様々な「日本」をまとめたエッセイ集。時々は「アメリカ」もあるし、「世界」も出てくる。中身を少しご紹介すると・・・・・

 

例えば、くしゃみをした人にアメリカでは「Bless you」と言うけれど、日本では何も言わない、どうして?と思っていたアーサーさん。沖縄に行った時に沖縄口(ウチナーグチ)では「クスクェーヒャー」ということを発見した。くしゃみを引き起こさせた魔物に対して「糞食らえ」と言うのだ。「くさめ」という日本語もあるなと思って広辞苑で調べたら「くしゃみが出た時に唱えるまじないの語。〈休息万病(くそくまんびょう)〉を早口に言ったものという。」な~んだ、日本語にも「Bless you」や「クスクェーヒャー」と同じ掛け声があったのだ、と納得したという話。(「くしゃみ、糞食らえ」)

 

一時期出回った2000円札の欠陥を指摘したりもする。

2000円札の裏の源氏物語「鈴虫」の巻が取り上げられていることに期待を寄せていたアーサーさん。ところが実際の2000円札は、「月の宴」の場面の絵にテキストがびっしり重なっていて、これでは耳なし芳一ではないか、と落胆させられた。そのテキストがチンプンカンプンなので「源氏物語」を開き解明しようとしたら(わからないことはどんどん調べるという姿勢が、アーサーさんのすごいところ)、本来の9行の文章を真ん中で横にスパッと切り取って上半分だけを使っている。だから何が何やらわからない9行になってしまっているのだ。「古文だからどうせ誰も読めやしない」と日本人の言語力を見くびったか。(「お粗末お札」)

 

書きだしたらきりがないが、日本人が気が付かなかったことをこうまでも探し出して目の前に並べられるとちょっと悔しい。けれどそれがアーサーさんのアーサーさんたるところなのかも知れない。全国各地で開かれる講演会が人気なのは、この悔しさを味わいながら日本のことばと社会の繋がりに目を開かせてくれるからに違いない。

 

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 空からきた魚(集英社)

2008年

昆虫少年だったアーサーさん。来日して日本語を学ぶために、習字教室に通い短歌会や句会に参加し、落語を聴いたり謡を習ったり・・・すごい勉強家のアーサーさん。

 

エッセイに自作の短歌や俳句が添えられていたりして愉しい。日本人である奥さんとの国際結婚の顛末を綴った「欄外に生きる」(第一章)というエッセイの最後にある歌をご紹介しよう。


 パスポートに配偶者ビザを押されたり

紛れもなく僕は君の夫よ

 

二人の日本の詩人がお好きだそうで、菅原克己さんの詩「『絵日記』という喫茶店」を最終章でのエッセイ「ローマの休日、調布の平日」で、日本語学校で飛び級したクラスの市川信子先生のもとで教わった小熊秀夫の詩「しゃべり捲くれ」をエッセイ「下町でしゃべりまくれ」で紹介している。間違ってもいい、周りを気にするなと小熊秀夫に励まされたと、アーサーさんは言う。

 

「私は君に抗議しようというのではない、

―ー私の詩が、おしゃべりだと

いうことに就いてだ。

私は、いま幸福なのだ

舌が廻るということが!

沈黙が卑屈の一種だということを

私は、よく知っているし、

沈黙が、 何の意見を

表明したことにもならないことも知っているから―ーー。

私はしゃべる。

若い詩人よ、君もしゃべり捲くれ。

(後略)・・・・・・・」

 

 

アーサーさんの子ども時代のエピソードや結婚した頃の話、落語や俳句や短歌の話、自然環境の話、お気に入りの移動手段・自転車の話、好きな詩の話など、興味深いエッセイが満載。

 

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もしも、詩があったら(光文社)

2015年

ひょっとしたら「もしも」と云う気持ちが詩を作らせるのかも知れない。「詩は『もしも』から始まる」とアーサーさんなりに定義して、古今東西の詩を紹介しながら実証を試みる。そして、それぞれの詩・詞の中の「もしも」の存在の大きさも示す。

なるほど~と唸らせたり、こう言う詩があったんだと目を開かせたり、鋭い分析に脱帽させられたり・・・。詩を味わいながらアーサーさんのエッセイを楽しめる読み応えのある一冊。

 

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日々の非常口 (新潮社)


2009年


日々物事はものすごいスピードで変化していきます。
ですから約10年前に出た本となると、それなりにズレってもんがあるだろうと思ったんです。

ところが・・ない。全くない。

この本にカブトガニの話が出てきます。
「生きた化石」といわれるが、それは進化を拒んでいるのではなく、すでに完璧だから。
変わる必要性がない、むしろ「生きた傑作」だと。

今の日本の人間界で10年経ってもブレないものを
書いてるなんて・・
二億年変わらないカブトガニ並みですよ、アーサーさん!

携帯を持たず、

フィルムカメラからデジカメに移行することも出来ない私は、

冷たい横殴りの雨の中取り残され、
歯を食いしばることしばしば・・

でも見つけました、私の「日々の非常口」。
それはあなたです、アーサーさん!


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えをかくかくかく (偕成社)

エリック・カール (著)

アーサー・ビナード(訳)

2014年

 

「はらぺこあおむし」でおなじみの絵本作家・エリック・カールは絵本の魔術師という名をほしいままにしている作家だ。先般「あつまるアニマル」の紹介の中で、アーサー・ビナード氏を言葉の魔術師と呼んだ。ということは、『えをかくかくかく』は、期せずして2人の魔術師の競演がみられる絵本だということだ。

 

エリック・カールは、12歳の頃ナチス政権下のドイツでこっそり見せてもらった、フランツ・マルクの絵に衝撃を受けたという。フランツ・マルクは動物好きの、夭折のドイツ人画家である。『えをかくかくかく』は、そのフランツ・マルクへのオマージュとして描かれた作品だ。

 

「自由に絵を描きたい!」という作者の想いが絵本全体にみなぎっている。主人公の少年が描く絵は、全く常識にとらわれない。例えば、黄色い牛や緑のライオンなど、いずれも自由でかっこよく伸び伸びした絵である。黒い白くまなんてまったくもって最高だ。

 

もちろん、もう一人の魔術師アーサー氏も負けてはいない。

まず、邦題がいい。原題は「The Artist Who Painted a Blue Horse」だ。原作者には申し訳ないが、原題よりも作品のテーマをピタリと捉えているのではないだろうか?ページをめくれば、心に響く訳が続く・・・・・

 

えをかくこと それは のびのびと いきることだ

なにいろで かくか 

それをかんがえるのも とってもだいじ

 

まちがったいろ?そんなものはない

 

自分にぴったりの色を探し、考えながら、自由にのびのびと描く・・・・

それは、「人間の一生」というキャンパスに描く「人生」という絵についてもかたっているのだと気づかせてくれる。

 

躍動感のある絵に、小気味良い訳が躍る。

2人の魔術師によってもたらせれる「清々しい読後感」。こんな魔術なら何度でもかかってみたいものだ。

 

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 ひとのあかし(清流出版)

若松丈太郎(著)

アーサー・ビナード(英訳)

齋藤さだむ(写真)

2012年

 

 2012年に出版されたこの本は、本当に深い本です。

 福島県南相馬市在住の詩人若松丈太郎の詩を、ビナードさんが英訳しました。

 『ひとのあかし』『みなみ風吹く日 1』『みなみ風吹く日 2』「神隠しされた街』の4編が、日常を失ったフクシマの写真と友の収められています。

 

 特に1994年に発表された『神隠しされた街』は、福島第一原発事故を「予言」した詩として、震災後に注目を浴びました。英訳に取り組んだビナードさん、若松の創作ポイントを「すべてのものに、ひたすら公平、平等に臨んだ。そこに予言の名詩が生まれたのだ」と言います。

 一方、古老の詩人若松は「私は預言者ではない。ただただ観察して、現実を読み解こうとした」と述べます。

 写真家斉藤さだむのレンズは、親子ほども歳の違う二人の詩人が、放射能の降った草原に立ち、じっと聴き、見詰め、何かを語り出そうとする一瞬を捉えます。

 ローマ字で、双葉町、大熊町、富岡町・・・と追っていくと、福島はついにフクシマになってしまったのだ・・・、と実感します。

 この本には本当に深い悲しみが、きちんと描かれています。


(i)



亜米利加ニモマケズ (新潮社)

2014年

 

たとえば、毎日使っているごはん茶碗。

たまたま家にあったからなんとなく使っているだけだったのですが、そこに目利きのアーサーさんがやって来ました。

 

「素敵なご飯茶碗をつかっているね」と話しかけられました。

キョトンとしていると、「ほら、見てごらん」と様々な知識と視点で説明が始まります。

形、重さ、手の馴染みやすさ、置いた時の安定感から釉薬や土についてまで・・

いとおしそうに大切に手の中でひっくり返したりなでたり話は続きます。やがてアーサーさんのぬくもりで温かくなった茶碗を私の手に戻しながらもう一度「素敵な茶碗だ」とつぶやきます。

さあ不思議。「なんとなくのご飯茶碗」が「お気に入りの茶碗」になってしまった瞬間です。

 

そんな風にアーサーさんが日本語を手にとって味わってみたり煮だしてみたり、短い一遍、一遍を読み終えるたびに日本が好きになり、言葉の大切さに立ち止れる。

その上なぜか亜米利加も近しいものになって行くんです。

 

ありふれたものに触れられる喜び。

またアーサーさんにやられてしまった・・うふふ。

(s)



あつまるアニマル(講談社)

ブライアン・ワイルドスミス

(作/絵)

アーサー・ビナード(訳)

2008年

 

オノマトペ(擬音)とは不思議なものである。

犬の鳴き声1つとっても英語(bow wow)と日本語(ワンワン)とでは音が違う。そんなオノマトペの面白さ・楽しさがギュッと詰まった絵本が『あつまるアニマル』だ。

 

とはいっても、動物たちの鳴き声を集めた作品ではない。

動物たちが集まる(?)音を集めた絵本だ。

 

色彩の魔術師と呼ばれるワイルドスミスのカラフルな絵に、言葉の魔術師ではないかと思うアーサー・ビナードの邦訳が添えられて、とにかく愉快な絵本である。

 

例えば、「ぴょどん ぴょどん」と集まるのはカンガルー、「どっしゃ どっしゃ」と集まるのはゾウたちだ。聞こえてくるはずもない「動物たちの集まる音」が、ページをめくるたびに頭を駆け巡る。いったいどうすればこんなオノマトペの邦訳を思いつくのだろう・・・・・。

 

やはり、アーサー・ビナードは、日本語の魔術師かもしれないね。

 

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さがしています(童心社) 

2012年


原爆と残された物たち

「ふたりのイーダ」の物語が頭に浮かびました

イーダに出てくる椅子

この本に出てくる残されてしまった物たち


 さがしています 私の持ち主を

                                              70年待っています 私の持ち主を


皆さんも残された物たちの声を聞いてみて下さい


                                (m)



釣り上げては(思潮社)

2000年

日本人より日本を語るアメリカ人。
彼はいったい何者なのでしょう?
「スニッカーズ」より「かりんとう」に手が伸びる、靴下を履いて眠るもじゃもじゃ体の持ち主・・・・・


この詩集を読み終える頃には、気になる隣人、ビナード氏は、親しい友人アーサーさんになっているはずです。

 

中原中也賞を受賞した外せない一冊。

(s)



 はじまりの日

~Forever Young

(岩崎書店)

ボブ・ディラン(著)

ポール・ロジャース(イラスト)

アーサー・ビナード(訳)

2010年

「Forever Young」は、1974年に発表されてから老若男女にうたわれてきた、子どもを思うあたたかな名曲。これまで正式な日本語訳がなかったこの曲をアーサーさんが翻訳して、子どもも大人も楽しめる絵本になった。「いつでも 君の始まりの日なんだよ」という目の前を照らす言葉。「forever young」をこのように翻訳するのか・・・。信じたことをずっとずっと続けて行こうと思う背中を押してくれる。ポール・ロジャースのイラストがとても良くて、最後にある各ページのイラストの解説ポール・ロジャースの言葉を参考にしながら、もう一度最初から、じっくりイラストの細部に目をやり味わってみる。

 

(t)